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衰退と復興の歴史!伝統工芸品となった日常の器【萬古焼】2023/01/09

三重県を中心に発祥、発展してきた陶磁器があります。伝統工芸品に指定されている萬古焼(ばんこやき)です。
萬古焼は、陶器と磁気と中間の性質を持つ「半磁器」に分類され、耐熱性にも優れています。つまり、直火にかけても空焚きしても、萬古焼は耐え抜くことができます。中でも器は遠赤外線効果によって保温性も抜群のため、温かい料理をそのまま食べることが出来るのが魅力の一つです。現在は主に耐熱性を活かして、土鍋などの調理器具が大量生産されていますが、実際は急須や花器などの日用品から工業製品の型まで製造されます。
萬古焼は江戸時代中期に創始され、様々な試練に見舞われながら、現代まで続いてきました。
今回は萬古焼の興廃の歴史について見ていきましょう。

沼波弄山の「古萬古」と森有節の「有節萬古」の系譜と特徴


萬古焼の創業は江戸時代中期にまで遡ります。創始者は伊勢国桑名(三重県桑名市)の豪商・沼波弄山(ぬなみろうざん)です。

沼波家は桑名の豪商で「萬古家」という陶器問屋(廻船問屋とも)を営んでいました。
沼波楼山は幼少期から風流を愛する人物で、表千家から茶道を学び、自ら楽焼風の陶器を焼いていました。
元文年間(1736~1741年)には、陶器製造がこうじて小向(三重県朝日町)に開窯。京焼の技法をもとにした作品を作り始めます。
宝暦年間(1751~1764年)には江戸の向島小梅に開窯。将軍・徳川吉宗の御成もあったと伝わります。

弄山の時代の萬古焼は「古萬古」と称せらました。弄山の古萬古では、文人趣味に合う煎茶器などが多く製作されています。
弄山は独特の中国の風景やオランダ風の更紗文が特徴的。鳥獣文をあしらった赤絵や銅青磁も魅力の一つです。

弄山が自分の作品に押した「万(萬)古」あるいは「万古不易」と押印。「何時の世までも栄える優れたやきもの」という意味が込められています。

弄山の死後、萬古焼は衰退し技術の継承も危ぶまれる事態となりました。
天保2(1831)年、古物商・森有節が弟・千秋と共に伊勢国朝日の小向で萬古焼を再興。有節は木工、千秋は発明に長じていました。

弄山の古萬古と同様、有節は白土と赤土を使って製作。しかし時流に合わせる形で、抹茶器から煎茶器に主流を転換。上絵付は硬彩から軟彩へと変えていきます。
さらに木型を使って急須や土瓶を成形する型萬古を採用。粉彩による大和絵の絵付を考案しました。
特に有節の萬古焼で独自の技術が、腥臙脂釉(しょうえんじゆう)と呼ばれる鮮やかなピンク色の発色です。

有節の萬古焼は、弄山の萬古焼と比較して「有節萬古」と呼ばれ、他の地域の影響を与えています。


荒廃した村から産業都市へ!村役が育んだ四日市萬古焼


萬古焼の隆盛は、次第に産業として周辺からも注目されていきました。
伊勢国四日市末永村の村役・山中忠左衛門は有節萬古の人気を、村の産業にしようと画策します。
当時、末永村は海蔵川や三滝川に挟まれ、度重なる水害で被災。年貢も支払うことができないほどに生活が困窮していました。

忠左衛門は私財を投じて、萬古焼の研究に着手。四日市の東亜倉川の唯福寺の海蔵庵窯で手ほどきを受けます。
多額の出費と20年の歳月を費やした結果、忠左衛門は明治3(1870)年に量産のための陶法を確立。村人に指導を始め、陶工育成を始めました。

忠左衛門の生産方法は「四日市萬古焼」と称せられ、惜しみなく公開されたようです。その結果、四日市では萬古焼の職人が急増。川村又助や堀友直など優れた陶工たちを次々と排出していきました。

時代が明治に入ったことで周辺では鉄道も整備。国外への輸出に向けて、四日市萬古焼は産業として活気付いていきました。

四日市萬古焼は鳥や象などのユニークなデザインが一つの特徴です。加えて材質の土にも工夫がされていました。
当初は近隣の白土を使用していましたが、明治中頃には枯渇。その後、美濃地方の温故焼と協力して、鉄分を含む赤土が生み出されます。
この赤土は萬古焼の代名詞である「紫泥急須」の材料に選定。現在まで萬古焼の系譜を支えています。


大正焼への発展と伝統工芸品の指定


萬古焼は近代以降も発展と衰退を繰り返していきました。
明治末期には不況で一時低迷。西洋の硬質陶器の研究が進められ、水谷寅次郎が「大正焼」と呼ばれる新たな様式を生み出します。
生産は機械化されていき、次第に国外への輸出も増加。四日市は窯業の一台拠点として発展していきました。

しかし昭和に入ると再び不況が深刻化し、製品の製造と販売の統制が行われます。その後太平洋戦争が勃発すると主力の対米輸出が途絶し、戦時下に必要な耐火煉瓦などの生産に転化しました。
ところが四日市が大空襲によって損害を受けると、萬古焼の工場や倉庫のほとんどが焼けてしまいます。
そのような状況でも戦後の昭和23(1948)年には貿易が再開。萬古焼は復興へと歩み始めます。

現在では輸出向けだけでなく、時代のニーズを捉えた品々が制作されています。
萬古焼は、陶器と磁気と中間の性質を持つ「半磁器」に分類され、耐熱性にも優れています。直火にかけても空焚きしても、萬古焼は耐え抜くことが出来るのです。実際に耐熱性を活かして、土鍋などの調理器具が大量生産されています。
昭和54(1979)年1月12日には、経済産業大臣が萬古焼を伝統工芸品に指定。日本の伝統的磁器として認められました。



おわりに



萬古焼は各々の時代に変革を起こす人物が関わり、発展させて次の時代へと繋いできました。
萬古焼は伝統工芸品ですが、決して手の届かない高尚な美術品ではありません。人々の暮らしを支えた、私たちに身近な「器」そのものです。
あなたの日常生活の中にも萬古焼が関わっている可能性があります。一度確認してみてはいかがでしょうか?


○参考文献

・仁木正格『やきもの入門』 主婦の友社 2018年


○参考サイト

・「萬古焼について」ばんこの里会館HP

・「沼波弄山」コトバンクHP

・「森有節」コトバンクHP

・「山中忠左衛門」コトバンクHP

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