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コラムコラム

陶磁器

人間国宝の作家も輩出!清水焼の名でも知られる陶磁器【京焼】2023/06/01

焼き物の中で、京都地方を中心に古代から発展してきたのが京焼(きょうやき)です。
京焼は粟田口焼などの複数の名を持ちながら、優れた職人たちによって進化。近現代に至るまで多くの愛好家を獲得してきました。
今回は京焼について見ていきましょう。


唯一無二の焼き物には複数の名前がある?古代から続く京焼の系譜


京焼の起源は、古代にまで遡るとされています。
5世紀前半頃、現在の宇治市及び京都市伏見区の陶工が雄略天皇の御器を作成。7世紀初頭には、洛北や上賀茂付近で祭器や屋根瓦が作られていました。
8世紀前半には行基が詔(みことのり:天皇の命令)を報じて山城国愛宕郡で開窯。土器を製造しています。

本格的な京焼の始まりは、室町時代の宝徳年間(1449~1452年)と伝来。小松谷清閑寺の職人・音羽屋九郎右衛門が深草に窯を移して陶器を作ったのが最初のようです。

永正年間(1504~1521年)には渋谷の工人・元吉が深草式の方法で京焼を改良。釉薬による新しい工法を編み出しました。

特に桃山時代から江戸時代草創期にかけての天正・慶長年間(1573~1615年)には著しく発展。多くの陶工が現れて音羽や清閑寺、小松谷や清水などで製陶を行っています。
京焼の名称は日記に博多の商人・神谷宗湛の日記にも表れたことから、全国的な知名度を博していたとされます。

江戸時代初期に至ると、京焼の内部で窯ごとの名称を冠するようになっていきました。
寛永・慶安年間(1624~1652年)には、鹿苑寺住職・鳳林承章の日記『隔冥記』に粟田口を中心とする地域の陶窯について記述。粟田口焼や清水焼、音羽焼の名も確認されます。

正保元(1644)年には、野々村仁清が御室仁和寺の門前で開窯。京焼に大きな変革を与えていきます。
仁清は雅やかな色絵陶を数多く作成。京焼は先人の作品に自身の創造を加える「写しもの」から色彩を強めた「色絵もの」へと茶器製造が変化していきます。

元禄12(1699)年には、尾形光琳の弟・尾形乾山が鳴滝に開窯。光琳の絵付と乾山の書で讃を寄せるという共同作業でした。
乾山の作品は、生き生きとした筆遣いと構図の巧みさと優れた色彩感覚で注目され、梅や菊などの意匠化された特徴的な文様が見られました。


京焼の師弟関係!奥田穎川と青木木米の活躍


京焼を代表する職人について、二人紹介しましょう。ここであげるのは奥田穎川(おくだえいせん)とその弟子・青木木米(あおきもくべい)です。

江戸時代末期、豪商出身の奥田穎川が粟田に開窯。製陶を始めたのは30歳前後という、当時としては遅咲きのスタートでした。

穎川の作風は明末期の古染付や交趾窯をまねた精緻なもので、特に赤絵呉須の模様を上手としていたようです。
さらに穎川は、京焼で初めて磁器を創始します。当時は各地で有田焼など磁器窯が移植されており、時代に即した作品を作っていました。
穎川が寄寓したとされる建仁寺には、染付水指や赤絵火入などの磁器製品が所蔵。その足跡がわかります。

加えて穎川は多くの優れた弟子たちを育成。門下からは青木木米や仁阿弥道八、三文字屋嘉介などの多数の名工が巣立っています。
弟子の一人、青木木米は京都祇園の茶屋の息子として出生。書画や工芸に関する技術を有しており、やがて陶磁器に傾倒していきます。

木米は師・穎川の磁器製法を煎茶道具に応用。中国の染付や赤絵、青磁、交趾焼の技術と様式と、南蛮焼(東南アジアの焼締陶)や朝鮮李朝(りちょう)時代の陶磁の作風も加味して、多彩な焼物を残しました。

昭和の人間国宝・三代清風与平の偉業


近現代においても、京焼の職人は焼き物の世界で活躍していました。
職人というと、戦後の重要無形文化財保持者(人間国宝)が思い浮かびます。しかし戦前は、優れた職人は人間国宝の前身である「帝室技芸員」として認められていました。

明治から昭和まで、京焼の職人として帝室技芸員に認定されて活躍したのが、三代清風与平です。

三代清風与平は京焼の醤油醸造業・岡田良平の子として誕生。幼名は平橘と名乗りました。
良平は儒者であり、円山派の花鳥画に通じた人物だったと伝わります。平橘に対して多大な影響を与えたことは間違いありません。
平橘は幼少期から絵師になることを志し、文人画家・田野村小虎(直入)に師事します。
慶応2(1866)年、平橘は京都の陶家である清風家に養子入りを果たし、ここで陶芸と出会いました。
清風家の初代清風与平は、仁阿弥道八の弟子から認められて独立を許された人物でした
平橘は絵付をする画工として修行。すると絵付どころか、わずか6年で陶器製造の全工程を修めてしまいます。

養父・二代清風与平は平橘の独立を認定。明治11(1878)年に平橘は三代清風与平と名乗って日本の画壇に新風を吹き込むこととなります。

明治23(1890)年の内国勧業博覧会で妙技一等賞を受賞。全国にその名を轟かせました。
明治26(1893)年には、40代前半という若さで帝室技芸員に抜擢。日本国屈指の技術者として認められるに至ります。

三代清風与平は「太白磁霊芝文巾合」や「秘色釉柏葉楊枝入」を製作。国内で知られた作品は少なく、個人コレクションに優れた品が多く確認されています。


おわりに


京焼は古代から近現代の長い歴史の中で技術が培われ、優れた職人たちによって価値が育まれてきました。
京焼の品々は時代ごと、流派ごと、職人ごとに多岐にわたります。どこにあっても不思議ではないのです。
あなたの身の回りにもあるかもしれません。一度確認してみてはいかがでしょうかか?



参考文献
・仁木正格『やきもの入門』 主婦の友社 2018年


参考サイト
・「京焼・清水焼」 京都府HP

・「京焼・清水焼の歴史」京都陶磁器協同組合連合会HP

・「熊田穎川」コトバンクHP

・「青木木米」コトバンクHP

・「煎茶具」文化遺産オンラインHP

・「京焼と帝室技芸員ー三代清風與平ー」京都陶磁器会館HP

・「清風与平」古美術ますけん HP

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