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発祥から断絶まで!現代も評価される世界的な焼き物【眞葛焼】2023/05/01

京焼の流れを汲みながら、世界的に認められ、惜しまれつつも断絶してしまった焼き物があります。眞葛焼(まくずやき:真葛焼とも)です。
江戸時代に生まれた眞葛焼は、初代宮川香山のもとで大きく発展。世界的に注目を浴びました。しかし時代の荒波によって眞葛焼は思いがけない結末を迎えてしまうのです。

眞葛焼の特徴と真葛ヶ原での発祥までの経緯


眞葛焼の大きな特徴は「写し」と「ワラ灰釉(はいゆう)」、「茶の湯」にあると言われてきました。

写しは、京焼の特徴から受け継いでいる特色でもあります。
江戸時代の平和の中で、茶の湯が流行。中国や朝鮮の焼き物の写しが京焼では行われていました。
これは単純な模倣ではなく、写す人間の独自性や創造性をアレンジして製作されています。
「仁清写し」や「乾山写し」という言葉がありますが、眞葛焼にも同様の点が存在していました。

次にワラ灰釉は、乳白色で柔らかで上品な風情を演出する釉薬で、眞葛焼の当主が代々受け継いできました。
同じワラ灰釉を使用しても、土によっては赤や青に変色するため、眞葛焼の多様なバリエーションを生み出します。

最後に特徴的なのは、茶の湯との関わりです。
眞葛焼では江戸時代だけでなく、近代になっても茶器を製造。時代や求めに沿うことはもちろん、表千家に認められるほどの名品も製作しています。治兵衛家の四代・永誉香齋(えいよこうさい)も、茶の湯を楽しみつつ、茶陶作家として作品も手がけています。


眞葛焼の発祥は、江戸時代中期にまで遡ります。
貞享年間(1684~1687年)、近江国坂田郡宮川村から祐閑宮川小兵衛政一が京都に出て、知恩院前で陶器製造を開始しました。
その後、小兵衛の長男・治兵衛と次男・長兵衛兄弟はそれぞれ家を立てて分かれます。

眞葛焼の名前の由来となったのが、長兵衛香山家の4代目・宮川長造です。
長造は若い頃から陶工・青木木米に師事。やがて京都東山の真葛ヶ原の一角に開窯して作陶を始めました。築窯により、長造は楽勝寺安井門跡から「真葛」の号を下賜されます。


眞葛焼を世界的な陶磁器にした男!初代宮川香山


眞葛焼を特に世界的な存在に押し上げたのが、初代宮川香山でした。
天保13(1843)年、初代宮川香山(本名:虎之助)は宮川長造の四男として誕生。父・長造と兄・長平が没した後に真葛窯を継承します。

初代宮川香山は、幕府から御所へ献上する飾棚付茶器大揃の製作で注目され、周囲から一目を置かれていました。
明治元(1868)年、大名茶人・伊木三猿斎忠澄の招きで備前国虫明に出張。虫明窯の指導を行なっています。

明治3(1870)年には薩摩藩の御用商人・梅田半之助の勧めで横浜へ移転。翌明治4(1871)年には横浜の大田村(横浜市港区庚台)に開窯して「横浜眞葛焼」を始めました。

初代宮川香山の作品は、国内では東京国立博物館をはじめ、三の丸尚蔵館や泉屋博古館にも所蔵されています。
国外においても初代宮川香山の眞葛焼は万国博覧会に出品。大英博物館やボストン美術館など主要な博物館施設に所蔵されるに至りました。
現代においても眞葛焼は海外で「MAKUZU Ware」と呼ばれて高い評価を得ています。



平和な時代に生まれた眞葛焼、戦争で断絶する


世界的に注目されていた眞葛焼ですが、やがて時代の荒波に翻弄されることになります。

初代宮川香山は、兄・長平の子・宮川半山(半之助)を後継者として養子として迎え入れていました。
大正5(1916)年に初代宮川香山が死去。翌大正6(1917)年に半山が二代宮川香山を襲名して跡を継ぎました。

二代宮川香山は従来の眞葛焼を引き継ぎつつ、煎茶に代わって流行してきた茶の湯の道具の製作も始めていきます。
表千家宗匠・生形貴一の指導を受け、大阪の茶道具商・坂田作治郎と関係を築くなどして邁進。表千家12代・惺斎から御書付(おかきつけ)を頂戴するに至ります。
大正12(1923)年には「仁清写し琵琶袋香合」と「仁清写ぶりぶり香合」を茶道具の御好物として認定されました。
二代宮川香山の眞葛焼は、ヴィクトリア&アルバート博物館をはじめとした施設にも所蔵。海外でも認められています。

昭和15(1940)年、二代宮川香山が死去。翌昭和16(1941)年に二代の長男・葛之輔が三代宮川香山を襲名して後を継ぎました。
しかし当時は太平洋戦争に突入していく時代です。戦争の足音が少しずつ日本本土にも迫ってきていました。
昭和20(1945)年5月29日、横浜大空襲によって三代宮川香山は巻き込まれて命を落としてしまいます。
このとき、自宅や窯などの仕事場も全て焼失してしましました。眞葛焼が途絶えた瞬間です。

戦後、二代宮川香山の次男・智之助が四代宮川香山を襲名。治兵衛家の四代永誉香齋らの力を借りて眞葛焼復興を目指します。
しかし四代宮川香山の逝去により眞葛焼は復活することはなく、完全に途絶えてしまいました。


おわりに


眞葛焼は、培われた技術だけではなく、それに携わる人々の熱意や想いによって進化を遂げていきました。
初代宮川香山だけでなく、関わった人々全てが眞葛焼を育て上げたと言えるのではないでしょうか。
眞葛焼は茶道具として注目されていますが、もしかするとあなたの身の回りにもあるかもしれません。一度確認してみてはいかがでしょう?


参考文献

・二階堂充『宮川香山と横浜真葛焼』 横浜美術館学芸部 2001年

参考サイト

・「真葛焼の特徴」真葛宮川香齋HP
・「真葛焼の歴史」真葛宮川香齋 HP
・「初代宮川香山」宮川香山眞葛ミュージアムHP
・「真葛焼の歴史」 神奈川県立歴史博物館HP

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