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コラムコラム

煎茶道具

有田焼にも影響を与えた?紫砂壷を産んだ窯【宜興窯】2023/04/17

日本の煎茶道の歴史は、中国からの茶文化伝来に始まります。その後独自の発展を遂げて、日本の煎茶道は発展を遂げました。
特に日本の煎茶や茶器に影響を与えたのが、中国の宜興窯で生産された茶器です。宜興窯の煎茶器は一体どのように発展していったのでしょうか。

中国の釜炒り茶が日本の煎茶道に発展!その軌跡を辿る


日本の煎茶道の歴史は、15世紀に九州に渡った当時の中国・明国の人々によって始まりました。このときは釜炒り茶という様式です。

本格的な煎茶道の導入は、江戸時代に入った17世紀でした。
承応3(1654)年、明国から黄檗宗の開祖・隠元禅師(いんげんぜんじ)が長崎に来日。日本に明国の生活様式を伝えています。

伝来の中には、中国製の急須で釜炒り茶を飲む喫茶法もありました。これは隠元禅師が明国の修行中に茶頭(さずう:茶の接待役)をしていた人物であることも関係していると考えられます。
その後、幕府大老・酒井忠勝らの勧めで、隠元禅師は日本への永住を決意し、山城国(現在の京都府京都市)にある宇治に土地と寺を与えられます。これが京都の宇治で製茶が盛んになる契機となりました。

隠元禅師が伝えた煎茶道はその後少しずつ発展を遂げていきます。
元文3(1738)年には宇治の茶業家・永谷宗円が煎茶に抹茶の製法を導入します。これは葉を湯で蒸し、焙炉(ほいろ)の上で手揉みする方法でした。これによって薄緑色の良質の煎茶を香り良い状態で楽しめるようになりました。

18世紀には禅僧であった芝山元昭(高遊外)が現れ、権力を結びついた茶の湯のあり方に異論を唱えます。
芝山は製品の茶風を目指して活動。煎茶を売りながら暮らして「売茶翁(ばいさおう)」と呼ばれました。


最高級の急須は紫色?中国茶器・紫砂壷


煎茶道において欠かせないのが、煎茶道具です。中国の煎茶道具は日本にも影響を与えてきました。

中国茶の茶器は、日本とは少し違った趣を持っています。

最初に紹介するのは中国茶器独自の聞香杯(もんこうはい:1対になった茶杯)です。これは青茶(烏龍茶や鉄観音茶)や黒茶の香りを楽しんだ後に付属の飲用杯で味を楽しむことができる茶器になります。

茶の温度調整ができる茶器もあります。蓋碗(がいわん)と呼ばれる陶磁器製の茶器です。これは茶碗・蓋・受け皿が1組になっており、どの茶葉にも使えます。そして蓋碗は急須にも湯呑にも使える、独特な茶器でもあります。

最後に紹介する茶器は茶壺(ちゃふう)です。これは中国の急須で、小ぶり丸みがあるものが最適と言われます。
茶壺で特筆すべきは、中国の代表的な茶器「宜興紫砂壷(ぎこうしさこ)」でしょう。
中国江蘇省宜興は、長く陶器を焼いてきた歴史を持っています。宜興の澄泥陶は宜興特有の紫紺色をしており、製品は「紫砂器」や略称の「紫砂」と呼ばれてきました。

県知事が宜興窯の職人になった!?紫砂壷が世界的美術品となるまで


中国江蘇省宜興の主力産品である「紫砂壷」の流通は、中国の喫茶の歴史及び習慣と関わっていました。

紫砂壷を製作する宜興窯では唐代から青磁を焼いていたと伝わります。
明代になって褐色や茶色の朱泥(しゅでい)や、紫がかった灰黒色の紫泥(しでい)を用いて茶器を製造していきました。

一方で、中国の急須にあたる紫砂壷の技術自体は、北宋中期ごろに始まったとされます。
その後、明の正徳年間(1506~1521年)には次第に有名となり、明代末期には成熟しつつあったと考えられています。

特に万暦年間(1573~1620年)に大きく発展し、名匠たちがそれぞれの流派を立てるほどになりました。
特に当時注目されたのが「四大家」と呼ばれた、時鵬・董翰・趙良・元暢の民間の職人たちでした。

民間の職人たちの力によって、明末期に技術の成熟を迎えます。この時点でヨーロッパでは、ポルトガル商人を通じて紫砂が持ち込まれ、「赤い磁器」と呼ばれて注目されています。

続く清代の乾隆・嘉慶年間には、陶工職人の陳鴻寿が登場します。陳は「西冷八家」の一人に数えられたほどの陶工です。加えて宜興で県知事を3年務めたこともある異色の人物でした。
陳鴻寿は紫砂壷の様式を18種類も考案し、書画や篆刻と結びつけるなど、新しい気風を取り入れました。こうした陳鴻寿の働きによって、紫砂壷は清朝への献上品に選出されます。清代末期の光緒年間(1875~1908年)になると、宜興の紫砂壷は日本だけでなくメキシコなど南米にも輸出されたことが確認されています。

近現代では中華民国時代の1915年に、紫砂がパナマ国際博覧会で初めて賞を獲得しました。現在の宜興では国営工場も建設されましたが、流通している紫砂の中には作家が一つ一つ手作りで製作しているものもあります。しかし、レプリカや偽物の製作が横行し、紫砂を製作する国家資格が作られました。


おわりに


日本の煎茶は中国文化の伝達によって確立され、伝来した紫砂壷などの煎茶器も我が国の茶道に多分に影響を与えていました。
宜興の紫砂壷は決して遠い存在ではありません。
あなたの身の回りにも、宜興窯の紫砂壷があるかもしれません。一度身の回りを確認してみてはいかがでしょう?



・参考文献

『本場に学ぶ中国茶』 科学出版社東京 2012年


・参考サイト

朱新林「宜興紫砂と常滑急須」サイエンスポータルチャイナHP

望月伸嘉「煎茶道の歴史」世界緑茶協会HP

「隠元」コトバンクHP

「永谷宗円」コトバンクHP

「中国茶を愉しむ」日本緑茶センター株式会社HP

「宜興窯」コトバンクHP

佐野由美子「中国茶の種類と味わい方」j-stage HP

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