人間国宝
古唐津を現代に蘇らせた 中里無庵2017/05/08

唐津焼は文禄・慶長の役前後から江戸時代の初期にかけて、朝鮮からの渡来陶工によって西日本の各地に起こった窯芸の一つです。その起源は室町時代に遡り、佐賀・長崎両県に古窯趾は200以上とも言われています。中里家が唐津焼に携わるようになったのは、初代中里又七が慶長元年(1596年)、伊万里市大川町に田代窯を開窯したのが始まりと言われています。
明治維新があった十一代の時には伊万里焼による磁器の発達におされて窯元存亡の危機にさらされましたが、十一代の次男、重雄(後の中里無庵)によって奇跡的に再興を遂げたのでした。
中里無庵は1895年(明治28年)に佐賀県唐津の唐津焼御茶盌窯第十一代中里天祐の二男として生まれました。幼い頃から焼物師を志し、佐賀県立有田工業学校では模範実技の第一号に選ばれる程の腕前でした。1924年父天祐の死去にともない、330年続いた伝統ある窯元を継承、十二代中里太郎右衛門を襲名し作陶に本格的に取り組む事になりました。
それから15年程は唐津焼の古い窯跡を発掘しては、その陶片から釉薬や焼き方、作り方などを寝る間も惜しんで研究しました。
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