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赤絵や青手の技術で美術史が一変?加賀国の焼き物【古九谷焼】2022/12/19

かつて発祥からわずか50年ほどで姿を消した「九谷焼」があります。この九谷焼は現在生産されているものと区別して「古九谷(こくたに)」と呼ばれます。
本記事では、古九谷焼の江戸時代初期の発祥から衰退と復興までの軌跡を紹介。青手や赤絵などの技法についても触れていきます。
古九谷焼がどのように生まれ、どのように私たちに関わってきたのか。
それでは、古九谷焼について見ていきましょう。


大聖寺藩で始まった古九谷焼



古九谷焼の歴史は、江戸時代初期に起源を持ちます。
この頃、加賀藩支藩である大聖寺藩領内で鉱山開発が行われていました。その最中、偶然にも九谷の金山で磁器の原料となる陶石が発見されます。
大聖寺藩主・前田利治はこれに目をつけ、磁器の製造を計画。錬金役・後藤才次郎に肥前国有田で製陶技術を学ぶように命じました。
帰国後、修行を積んだ後藤才次郎は九谷に窯を開きます。以降、九谷窯からは名品が続々と生まれたと言われています。
確かな時期は明確ではありませんが、少なくとも明暦元(1655)年ごろには開窯していたようです。

しかし九谷窯は元禄末期の1700年代に突如として閉鎖。わずか50年ほどの操業で幕を閉じてしまいました。
閉窯の理由については、大聖寺藩の財政難によって運営資金が不足したとも、藩主交代による方針転換とも言われています。確かな理由は現在もわかっていません。後世ではこの、江戸時代初期の九谷焼を古九谷焼と呼び、現在流通している九谷焼とは分けて考えていました。それでも古九谷焼がもつ青手や絵付の美しい様式は、独自の価値を確立。職人や知識層に特別視される名品と位置付けられます。


古九谷焼を彩った青手と赤絵



古九谷焼の様式美は、卓越した技法によって実現されていました。

古九谷焼が特に主題としたのは、花鳥風月や山水、人物でした。
画風は江戸時代の主流である狩野派の名匠・久隅守景の指導が実現。加えて土佐派や大和絵的な装飾画風、明末期の墨刷り木版画風なども取り入れられました。

特に絵付において、古九谷焼でイメージされるのは「五彩手(ごさいで)」です。同技法は余白を日本画のように活かしつつ、九谷五彩(緑・黄・紫・紺青・赤)で絵柄を描く様式でした。五彩手は古九谷焼の時代から既に存在していたと伝わります。
五彩手の作品は、絵画的な絵付けの筆致で描かれています。
五彩手の色絵による個九谷焼は、中国明王朝末期から清王朝初期にかけての色絵磁器がモデル智され、中国風の人物や散水などが描写されることが多いのも特徴です。

この五彩のうち、赤を用いない技法が「青手(あおで)」です。青手は緑の色絵の具を特に印象的に配色して絵付を施しています。

また、素地の余白をほぼ余すことなく、器全体に鮮やかに塗った「塗埋手(ぬりうめで)」という技法も特徴的です。塗埋手は三彩(黄・緑・紫)か、それに紺青を加えた四彩で用いられます。

古九谷を経た再興九谷でも、優れた技法が生まれています。
赤の色絵の具で「赤絵」には、金で絵付を施した「金襴手(きんらんで)」が多いことが特徴です。
器全体には「細描(さいびょう)」という細かい描き込みが施され、にじみにくい赤の色絵の具の特性が活かされています。
古九谷の赤絵は、近現代の赤絵作品のルーツともなりました。

古九谷焼の復興~再興九谷から現代の名工まで~



古九谷の復興は、廃窯から100年ほど経過した後のことでした。
文化4(1807)年、加賀藩は京の都から青木木米を招聘。木米は京焼の名工として知られた人物でした。
金沢で木米は春日山窯が開窯。以降の古九谷焼を「再興九谷」と呼び、古九谷焼の呼び方も生まれました。

やがて加賀国では小松などでも磁器作成が始まり、次第に組織的な古九谷製造が広がっていきました。

文政7(1824)年には、大聖寺の商人・豊田伝右衛門が自らの屋号にちなむ「吉田屋窯」を開設。高い芸術性と品質によって、富裕層などから好評を得ます。
しかし採算度外視の経営によって逼迫。天保2(1831)年には窯を閉じることとなりました。

山代に移転していた吉田屋窯は、現場の支配人・宮本屋宇右衛門が継承。今度は「宮本屋窯」として窯が再び開かれます。
宮本屋窯では、主任の絵付職人・飯田屋八郎右衛門が赤絵を細密に描写。28年間にわたって操業していました。
そして嘉永元(1848)年には、大聖寺藩は領内の勅使村に「松山窯」を開設。御用窯とも称された同窯では、高品質の九谷焼が生産され続けました。

現代においても、九谷の技法やデザインを継承する職人は活動しています。その一人が、三代浅蔵五十吉です。
昭和16(1841)年、三代浅蔵五十吉は二代浅蔵五十吉を父として誕生。日展や日本現代工芸美術展など多数の公募展で入賞しています。
近年ではJR北陸新幹線金沢駅に新幹線を描いた大皿を寄贈するなど、九谷焼の伝統を受け継ぎつつも、新しい工夫をしています。

おわりに



古九谷焼の歴史は、産業振興という目的から始まっていました。見事に花を咲かせたものの、わずかの期間で歴史を閉じてしまいます。
しかし古九谷焼で培われた技術は、確かに後世に伝わり、現代にまで残ることができました。
特に色絵の技術などは古九谷から再興九谷と断続的に歴史を重ね、現代の生活の一部にも溶け込むほどに昇華を遂げています。
あなたの生活の中にも、実は古九谷焼の影響が隠れているかもしれませんよ。一度探してみてはいかがでしょう。


参考文献および参考サイト


・矢部良明監修 『日本やきもの史』 美術出版社 1998年

・「赤絵(金襴手)」石川県九谷焼美術館HP

・「九谷焼について」能美市九谷焼美術館HP

・九谷焼MAG編集長「九谷焼の技法と様式」九谷焼MAG HP

・「九谷焼の変遷」南加賀周遊HP


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