人間国宝
松下電工勤務から金工家へ 中川衛2017/10/09
―――江戸時代加賀藩。二代藩主前田利長が京都の金工家・後藤琢乗を招き、装剣技術を開発したのが「加賀象嵌」の始まりといわれています。その加賀象嵌は高度な発展を遂げ、中でも「鐙(あぶみ)」は加賀象嵌の代名詞でもあり、精巧で優美な意匠は美術工芸品としても世界的に評価され、優れた作品が各国の美術館に収蔵されています。
石川県立美術館で加賀象嵌の鐙の展覧会を見に来たある工業デザイナーは、その鐙の強靭ながらも繊細な美しさに一目で心を奪われ、最後の加賀象嵌の技術者と言われていた高橋会州を訪ねて入門しました。その工業デザイナーこそ、後の人間国宝となる中川衛です。
所以、それは金工家になる前に、松下電工株式会社(現パナソニック)の社員であったという事です。
鐙とは、武士が乗馬する際、鞍の両側に下げて足を掛ける鍛鉄の武具で、その表裏に金線の象嵌で華麗な文様が装飾されています。その鐙のデザインに魅了された中川は、加賀象嵌最後の技術者と言われていた高橋介州に入門、金工の知識も経験もなかった中川でしたが、持ち前のバイタリティーで懸命に修行し、加賀象嵌の技術を習得して技の錬磨に努めました。
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