人間国宝
実用性と和洋の融合 高村豊周2017/08/28
「鋳金」の分野で人間国宝に認定された高村豊周は、彫刻家として知られる高村光雲の三男として生まれ、兄は詩人で彫刻家の高村光太郎。身近にいる偉大な芸術家2人から受けた影響は大きく、豊周本人も、伝統と近代性を兼ね備えた金工界の巨匠へと登りつめました。
として東京に生まれました。第一東京学校を受験しましたが失敗し、父から鋳金の道を勧められ、翌年鋳金家の津田信夫に入門しました。1909年に東京美術学校に入学すると、自宅の庭に小さな鋳金工場を作ってもらい、仲間とともに制作活動に打ち込みました。1915年同校卒業。
和室から洋室への生活様式の移行は様々な変化をもたらしました。それまで工芸品は床の間や違い棚などに置かれて正面から鑑賞されてきたのに代わり、洋間では机や箪笥などが置き場所になり、周囲からも鑑賞されるようになりました。それを受けて高村は「和室にも洋室にも似合う器」をつくることに重点を置き、さらに実用性を兼ね備えた伝統・近代的な作品づくりに打ち込みました。
2023/06/01陶磁器

2023/05/01陶磁器

2023/04/17煎茶道具

2023/02/20陶磁器

2023/02/01中国美術
|
|
|
|
|
|
|