人間国宝
多彩な釉技と独自の鉄絵 田村耕一2017/05/22

「鉄絵」の技法で人間国宝に認定された田村耕一は、1918年に栃木県佐野市に生まれました。生家の家業は節句人形の製造卸業で、人形司である父三代愛林斎観月の元で幼い頃から人形や鯉のぼりの絵付けを見て育ちました。1936年に東京美術学校工芸科図案部に入学すると、西洋画科の和田三造や染織図案作家の広川松五郎に学びました。
在学中に同じ栃木県で作陶をしていた濱田庄司の元を訪ね、「学生だから」という理由で「蓋付の茶碗4個」を無償で貰うという好機に恵まれます。この時の二人が後に人間国宝に認定されるなど、まだ誰も知る由もありませんでした。(栃木県内で人間国宝に認定されているのは現在でもこの二人のみです。)
に服すことになりました。戦後は京都の松風研究所に輸出食器のデザイナーとして勤務するようになり、同所の顧問をしていたかの富本憲吉の指導を受けた事が機縁となって、陶芸の道に入ることになりました。この時、東京美術学校の同期で同じく松風研究所に同時期に勤務するようになった藤本能道も、後に「色絵磁器」の分野において人間国宝に認定されています。
初期の作品は黒と黄褐色の2種の鉄釉を基調とし、これに蝋抜きや筒描きの手法で草花の模様を表す温かく重厚な作調によって、現代日本陶芸展や日本伝統工芸展等で受賞を重ねました。
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