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徹底した“美”への追求をつらぬいた、千利休の生涯2016/08/20

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千利休は和泉国・堺の豪商・魚屋に生まれました。商家の出ながら、幼少のころから茶の湯に親しみ、17歳で北向道陳について東山流の茶を学びます。ついで武野紹鴎に師事し、茶の湯の改革に取り組んでいきました。
織田信長が堺を直轄地とした時に、千利休は茶頭として雇われます。茶の湯に熱心だった信長のもとで、利休はその地位を確かなものとしていきます。

本能寺の変の後は、豊臣秀吉に仕えることとなります。秀吉は信長以上に茶の湯を好み、千利休を重用しました。

秀吉が関白となってからは、天下一の茶人と評され、名だたる大名や武将が利休に弟子入りするようになります。さらに、町人であるにも関わらず、秀吉の相談役ともなり、千利休は政治的にも強い影響力を持つようなったのです。

 

千利休の最期


sadougu05天正19年(1591年)、千利休は秀吉の怒りを買い、堺に蟄居するよう命じられました。

利休の弟子でもある大名たちは除名に奔走しますが適わず、京都に呼び戻された利休は聚楽屋敷内で切腹を命じられ、70歳の生涯を閉じます。

切腹にまで追い込まれた理由ははっきりしていません。安価な茶器に高額な値をつけ私腹を肥やしたとの疑いを持たれたためというもの、利休が改修に当たった大徳寺楼門に自身の木像を設置し、その下を秀吉に通らせたからというもの、秀吉と茶道に対する考え方で対立したというもの(利休のわびさびに対し、秀吉は派手好み)など諸説あります。

いずれにしても、町人である千利休が武士と同じように切腹を命じられるのは当時としては例をみないことでした。

 

最後まで追い求めた究極の美意識


sadougu01栄華を極めた千利休ですが、「茶に身分は関係無い」という信念を持ち、豪華な茶の湯ではなく、削ぎ落とされた美の境地を追求しました。

利休の茶室は戸口が極端に小さく作られており、たとえ身分の高い人でも一旦頭を下げなくては戸口をくぐることは出来ず、自らの謙遜の気持ちを示さなくては茶室にはいることができない、という精神を表すものでした。

利休は茶の道の七則として、「茶は服のよきように点て」「炭は湯のわくように置き」「夏は涼しく冬は暖かに」 「花は野にあるように」「刻限は早めに」「降らずとも雨の用意」「相客に心せよ」と語りました。

一見簡単そうにも思えるこの七則を笑った人に対し、わかっていてもできないのが人間であると戒めたそうです。
自身への切腹を命じに来た秀吉の使者たちに対し、千利休は「茶室に茶の支度ができております」と言ったと伝えられます。

利休がその生涯をもって完成させた「詫び茶」の心は、他者を思いやるおもてなしの心。その茶の湯の心には現代人も学ぶべきところが多々あります。

 

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