人間国宝
蹴彫で独自の表現 内藤四郎2017/11/13
内藤四郎は、蹴彫りや魚々子彫を得意とした日本を代表する彫金家です。東京・四谷区(現新宿区)に陸軍軍人の父・信一の四男として生まれ、東京美術学校在学中に清水南山や海野清らに学びました。常識に囚われず、自らの信念によりモダニズムと古典を自由に行き来しながら多くの作品を発表しました。
使い、角を活かした蹴るように打ち込んでいく線刻法で、楔(くさび)の形をした三角形の点の連続ができます。一見武骨で粗雑にも思える蹴彫を、内藤は桃山時代の鐔工・信家の鉄鐔を通じて魅了されるようになりました。
隙間なく寄せて打つことで、魚の卵のように見えることからこの様に呼ばれる技法です。正倉院の金工品にも、文様の隙間を埋める技法として使われていましたが、内藤はしばしば作品の表情を作るためにこの技法を使いました。
東京美術学校を卒業後は陶芸家の富本憲吉らと国画会工芸部、新匠美術工芸会、日本工芸会など、多くの場で行動を共にした内藤は、富本らのモダニズムの表現方法に深く影響を受けました。そして自らも伝統的な表現方法だけに囚われず、正倉院宝物の調査などで得た知見を自らの作品に思うままに活かすなどして、官展や国画会、戦後の日展や生活工芸展、クラフト展など、多くの団体に参加し作品を発表しました。
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