人間国宝
瀬戸黒の伝統を受け継ぐ 加藤孝造2017/06/05
瀬戸黒は桃山時代に現在の岐阜県大萱周辺で焼かれた茶陶です。漆黒茶碗が茶人に好まれたため、瀬戸黒はほとんど茶碗しか作られる事はありませんでした。
胎土は志野と同じ百草土で、轆轤で成形され、底が平たく高台は小さめの円筒型の茶碗が特徴です。釉薬は長珪石と土灰を合わせ、これに鬼板(酸化鉄・マンガン等を含む天然の原料)を加え、窯に入れて焼きます。
温度が1200度近くに上がって釉薬が溶け始めた頃を見計らい、鉄製の長い鋏で窯の外に引き出し水の中で急冷すると、漆黒色に発色します。引き出しが早すぎると艶が出ず、逆に遅すぎても釉が溶けてのっぺりとしてしまうため、引き出すタイミングを見計らう勘が必要不可欠になります。瀬戸黒はその技法上から「引出黒」、又は天正年間より造られたとの事から「天正黒」とも言われています。
鉄鋏が届く範囲が限定されるので、一度に窯詰めできる数は15個程度しかなく、作られる数が限られる上に高度な技術を必要とされるやきものです。
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