人間国宝
色鍋島に新たな陶技を追加した十三代今泉今右衛門2017/02/20

今泉今右衛門家は、藩政時代から有田の赤絵町に鍋島藩窯の御用赤絵屋として代々色鍋島の上絵付の技法を継承してきました。明治の時に十代今右衛門は赤絵付だけでなく、生地から一貫して制作する窯元となり、民間事業として色鍋島の焼造を行うようになりました。十二代今右衛門の時には色鍋島技術保存会が設立され、その技術が重要無形文化財「色鍋島」として総合指定され、今右衛門は日本を代表する色絵磁器の窯元へと発展しました。
十三代今右衛門はこうした環境において1926年に十二代の長男として生まれました。東京美術学校を卒業後は日展に連続入選するなど、陶芸家として順風満帆なようにみえますが、その作風は非伝統的なものであり、伝統的な色鍋島を期待する周囲への反発心が、より一層造形的な作風へと向かわせていたのでした。
当初は造形的な陶芸を目指していた十三代でしたが、間もなく正面から色鍋島に向き合うようになり、49歳で家業を継ぐと自らのオリジナリティーを加味した作品を発表するようになりました。
初期伊万里の吹墨は文様の周りに絵の具が吹き付けられていますが、今右衛門の作品では文様の背景全体に噴霧され、ざっくりとした肌合いを生み出しています。色鍋島にはなかった表現ではありましたが、世間からは十三代今右衛門の色鍋島として高く評価されました。
吹墨の作品発表からわずか2年後には薄墨の作品を発表しました。薄墨とは吹墨で用いる藍色の絵の具の代わりに、薄墨色の絵の具で噴霧します。薄墨色の絵の具は、明治大正の有田焼で一時期用いられた本焼き焼成用の顔料で、色鍋島の分野では今右衛門が初めて取り入れました。
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