古美術ますけん
古美術ますけん

メニュー
  • 古美術ますけんについて
  • 買取作家一覧
  • 買取品目一覧
  • はじめての方へ
  • 買取について
お問い合わせ 0120-134-003 9:00〜21:00受付 土日祝日対応 MAILはこちら LINE IDはこちら
english

china

thai

コラムコラム

人間国宝

桃山陶の通説を覆した荒川豊蔵2017/01/16

21

志野焼は桃山時代の天正・文禄の頃に美濃で生まれた日本独自のやきものです。もぐさ土という柔らかい土を使い、筆で絵付けをして長石釉を掛けて焼いた日本で最初の白い陶器といわれています。当時茶の湯で大流行したのにもかかわらず、短い期間のうちに生産効率の問題などから衰退し、400年もの間途絶えていたという謎の多いやきものでもあります。その志野の再現に、人間国宝の荒川豊蔵が取り組む最初のきっかけとなったのは、1930年の「志野筍絵筒茶碗」との出会いがあったからでした。


志野筍絵筒茶碗との出会い


製陶の町として知られる岐阜県多治見市に生まれた20荒川豊蔵は、28歳の時に画家を志して上京するも断念。その後縁あって京都の宮永東山窯に工場長として勤めていました。この東山窯を訪ねてきた北大路魯山人が会員制の高級料亭星ヶ丘茶寮で使う食器を造るため、鎌倉に星ヶ丘窯を設け、その窯場主任として迎えられました。
1930年、星ヶ丘窯の展覧会が名古屋で開かれたとき、その展覧会で筍の絵のある志野筒茶碗を見る機会を得ました。それまでは志野をはじめ瀬戸黒・黄瀬戸・織部といった桃山陶は瀬戸産とされていましたが、この通説に疑問を抱いた豊蔵は、翌々日岐阜県可児市大萱の山中で同じ筍が描かれた志野の陶片を発見し、これまでの通説を覆し陶芸界にも衝撃が走りました。
この世紀の大発見を契機に魯山人のもとを離れ、陶片発見の地で桃山陶の再現に取り組むようになった豊蔵ですが、窯の構築から陶土、釉薬、そして制作技術まで再現していくというのは想像を絶する程の苦難の道のりでありました。


日本初の人間国宝


1932年、豊蔵は大萱牟田洞に移築し陶房を作りました。飲み水は小川から運び、ガス、冷蔵庫、洗濯機、車もない、一見不便と思われる環境に敢えて身を置く事で、少しでも桃山期に近づこうとしたのかも知れません。当時の美濃では熱効率がよく大量生産が可能な連房式登窯が主流でしたが、「桃山の志野」にこだわった豊蔵は、窯でさえも22桃山と同じ半地下式大窯を築き、とことん桃山期の制作工程や窯を追求しました。そうして手探りでなんとか漕ぎつけた初窯はあえなく失敗。それでも古窯跡に残る陶片を手がかりに試行錯誤を重ね、少しずつ桃山陶に近づいていき、1955年、ついには第一回重要無形文化財の認定で志野瀬戸黒の2分野で選ばれる程になりました。ちなみにこの時の認定で2分野の指定を受けたのは豊蔵のみで、さらに日本の伝統的な陶技の技術という分野から選ばれたのも、豊蔵の志野と瀬戸黒という美濃の桃山陶だけでした。
美濃の山中で常に桃山と向かい合い、桃山の再興に尽力した豊蔵は、いつしか桃山を超えて独自の芸術へと到達し、晩年は得意な絵画を生かした色絵や染付による飾り皿など、独自の造形美と色彩美を誇る作品を生み出しました。

 

電話

フォーム ライン

  • お問い合わせ
  • 出張買取
  • 宅配買取
  • 持込買取

古美術ますけんが選ばれる理由

  • 1出張費無料
  • 全国を出張費無料での買取も行っております。遠方で持ち込みが難しい場合や、量が多いもの・大型のもので郵送が難しい場合など、是非ご利用ください。
  • 2実績多数
  • 古美術・骨董品をはじめ、中国美術・西洋美術・茶道具・書画・絵画・お酒など、品物にあわせて担当者が伺います。
  • 3安心・信頼
  • お品物や個人情報は厳正に管理。企業・法人様から個人主のお客様まで、幅広い方にご利用頂いております。各ジャンルの専門スタッフが担当させて頂いております。
  • 4迅速・丁寧
  • 最短で即日にお伺いすることも可能です。その場で現金取引をさせて頂きます。大切なお品物を丁寧に扱い、お譲り頂いたお品物を、大切にして下さる新しい所有者へ橋渡し致します。
遺品整理
大切な故人のお品物の遺品整理。
骨董・リサイクル専門スタッフが
査定・買い取りさせていただきます。